仕事に復帰して3日
繁忙期ともあり毎日同じことの繰り返しで難しくも無いですが…
余裕がなくブログも手抜き…( ̄▽ ̄;)
仕事は、数字(件数)を追っかけてると件数の壁にぶつかり乗り越えるのにかなり時間を要します。
ただ1/31に1日の目標件数15件を乗り越え16件獲得した時に、管理者に『一度15件(1日の目標)超えると、あとはスムーズに取れるようになるよ』と言われたけれど半信半疑でした
復帰1日目…9件
復帰2日目…10件
復帰3日目(2/27)…18件
昨日(2/27)なんと18件アポ獲得しました(*^^*)
平均1日80〜90件架電します
でも私は少ない方です
『サボってるのでは?』と思われるのではないか…と思うぐらいゆっくり仕事してます
そして早くも2月も今日で終わり
移動シーズン、節目の季節です
梅の花もこのお天気続きで満開になりそうですね
私は『梅の花』で最近ふと…思い出すことがあります
それは『小学校6年間のお別れ遠足』のことです
6年間同じところに行きました
田舎ならではの山越えお別れ遠足です(°o° )!!
現在は小学校は廃校になりました
全校生徒私の時は49人と先生方みんなで
山を超えた【藤川天神】へ遠足です
今思うとほんと山道を登って下ってと
時にはすごく狭かったりと先生方もすごく大変だったのではないかと思います
【藤川天神(菅原神社)】
〜藤川天神HPより画像お借りしました〜
藤川天神 (国指定天然記念物「藤川天神の臥龍梅」) – こころ | 薩摩川内観光物産ガイド
見ての通り『菅原道真公』が隠棲し没したという伝説が残っている『菅原道真公』を祀ってある神社です
そして今回SNSを見てると『飛梅』『臥龍梅』など、大宰府天満宮の周辺神社に『飛梅』が数箇所あるので「なぜかなぁ〜」と思ったことで、地元の【藤川天神】のことを思い出しました
なぜ鹿児島の 東郷町に?
調べました(^^)
【由緒】
延喜元年、藤原時平のそしりにあい、右大臣(現在の副総理)から太宰権帥(九州政庁の副長官)に左官された菅原道真は、その後も藤原時平の陰謀を恐れて太宰府で病死をよそおい、ひそかに筑前から船で水俣湾を経由して出水岸に上陸し、阿久根田代から湯田口を経て此処、藤川北野の地で静かに余生を送られたという伝承を持つ。〜鹿児島神社庁より一部抜粋〜
『菅原道真公』は生涯、すごく慌ただしく、気の休まる日があったのかと思いました
今の『大宰府天満宮』とか見てると病死をよそおい南へ逃げた〜(逃げたなんて言葉悪くてすみません^^;)なんて思わせない雰囲気の天神様(大宰府天満宮)なのにな〜
でも伝説なので書物は残ってないそうです
http:// URL http://hdl.handle.net/10232/18875
↑↑↑藤川天神の菅原道真公伝説についての論文
藤川天神に『菅原道真公』が残したものがあります
それは【臥龍梅】です
【臥龍梅について】
境内には、菅原道真公手植えの一株が繁茂したと言われる梅が約 三〇〇本あり、このうち五十数本が昭和十六年に国の【天然記念物に指定】されている。その成長には特徴があり、老木になると枝が四方に傾いていき、地面と接した部分から根付いて新たな子株となる。その様子が龍が伏したように幹が地上を這っているように見えることから臥龍梅という。
〜鹿児島神社庁よりお写真共に一部抜粋〜
〜藤川天神HPよりお写真お借りしました〜
お別れ遠足の時は、この梅の花の下でお弁当を広げた記憶があります
かくれんぼとか鬼ごっこをした記憶もあります…笑
現在は2年ほど前に鹿が境内に入り込み枝の新芽を食べたことから梅の花がつかない被害が出たことで柵などしてあるようで見るからに入れそうにないですね!
今年もそろそろ満開だそうです
〜藤川天神HPより〜
『菅原道真公』のお墓
行った時は小学生
『菅原道真公』のお墓にお参りすることも由来も全く分からないでした
今回改めて調べてみて
帰省した時に行ってみようと思いました
そのためには10年車を運転していないので運転できるようにしないといけませんね…笑
もちろん藤川天神も大宰府天満宮同様、『学問の神様』とされる『菅原道真公』をお祀りしてあるので受験シーズンには受験生やその家族などで賑わってるそうです( ¨̮ )
現在は参道も、とても綺麗に整備されてます
遠足に行った時は大きな木がありこんなに明るくなかったような気がします
最後に
お別れ遠足は帰りも山越えです
とても良い小学校の思い出です
明日はもう3月
『おついたち詣り』
miu-ohitorisama.hatenablog.com
暖かい日が続くので
それではまた…
↓↓↓参加してみようかな〜と…